感覚はズレる

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人は、自分の身体を

“正しく使えているつもり”で生きている。

だが実際には、

イメージしている身体の使い方と、

現実に起きている動きには大きなズレがある。

「ちゃんと立つ」

「真っ直ぐ座る」

「姿勢を良くする」

こうした言葉は一見正しそうに聞こえる。

しかし、その“ちゃんと”とは何なのか。

その“真っ直ぐ”とは、どこを基準にした感覚なのか。

曖昧なイメージのまま身体を操作すると、

人は無意識に力で形を作ろうとする。

胸を張る。

脇を締める

顎を引く。

腹に力を入れる。

すると一時的には“整ったように見える”。

だが身体の内部では、

重力との関係が崩れ、

本来分散されるはずの負荷が一点に集まり始める。

身体は嘘をつかない。

違和感。

慢性的な疲労。

呼吸の浅さ。

痛み。

可動域の低下。

それらは「感覚のズレ」が積み重なった結果でもある。

興味深い話がある。

シルク・ド・ソレイユのパフォーマーたちは、

過酷な公演を続けるために身体を整えている。

だが、その中心にあるのは、

特別な治療でも、強烈なトレーニングでもない。

「ベーシックなピラティス」だと言われる。

派手な動きではない。

むしろ極めて地味な運動。

だが彼らは知っている。

人の感覚は簡単にズレることを。

舞台上の強烈なパフォーマンスは、

身体に偏りを生む。

だからこそ、

基本動作に戻る。

呼吸。

重心。

左右差。

骨格の積み重なり。

動きながら、

感覚と現実のズレを修正していく。

これは単なるコンディショニングではない。

“客観性”を取り戻す作業でもある。

人は自分の身体を、

自分では正確に認識できない。

だから鏡を見る。

動画を撮る。

感覚を観察する。

他者からフィードバックを受ける。

武術でも同じだ。

「できているつもり」が、

もっとも危うい。

感覚だけを信じると、

身体は閉じていく。

本当に必要なのは、

感覚を否定することではない。

感覚を“検証する”ことだ。

動きと感覚を一致させていくこと。

それが、

身体を整えるということなのかもしれない。